勝手解釈「弱肉強食」

以前のことですが・・・・・いつもお世話になっている方のブログの、2019年01月19日 09:50にある方が投稿されたコメントに、例え何も食べずにじっとしているだけでも、体内、体外問わず、何らかの生き物たちを無数に殺し続けている、というようなことを書かれてました。 それに対して、コメントを返させて頂こうと思い、投稿したのですが・・・投稿が失敗したのか、ちょうどその頃、ブログ主様が、ブログの趣旨と外れる個人間のコメントのやり取りは避けて欲しいと書かれていた頃なので、それに抵触したのかわかりませんが、結果的に投稿されていませんでした。今日は、思うところがあるので、その内容を記事にさせて頂きます。 で・・・・・それが、この記事のタイトル、「弱肉強食」なんですが・・・・・ 本当に、『弱肉強食』なの?『強肉弱食』じゃないの?? と、自分は思ってるんですね。 あーー???じゃあライオンやトラを喰う野生動ぶ そういう意味じゃないからっ!!『強者』が『弱者』を『食べさせてる』んじゃないの??って意味だからっ!! その、思考の経緯です。 自分は・・・・・某菓子パンの擬人化ヒーローが、お腹がすいて泣いている子に、自分の頭の一部をもいで食べさせる描写があるじゃないですか? 「これ、リアルだったら、キモいし、恐いだけだよなぁ~・・・・・・・・・・」 て、ゾッとしたことがあるんです・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・が。 ふと、思ったことがあるんです。 「なんで、当たり前のように、『弱肉強食』と思ってるんだろう?『強い者』が『弱い者』を搾取するように感じたり、それを酷いと感じるんだろう?だって・・・・・もしかしたら、本当は、そのヒーローの世界の解釈が正しいんじゃないの?本当は、『強肉弱食』なんじゃないの?『弱い動物が、強い動物に、食べられる』のではなく、『強い動物が、弱い動物に、食べさせている』んじゃないの?」 そう思ってしまったら・・・・・本当に、そう感じることができたなら、そこは『愛』だけになるのではないか?と思ったんです。でも、実際に感じているのは、『弱肉強食』であり、それに対する理不尽さとかです。何故、『弱肉強食』『だけ』に『感覚』や『解釈』が偏っているのか?が、自分でそのように感じながらも、不思議で仕方無い訳なんです。『強肉弱食』と解釈しても、成立するはずなのに、と思ってしまったので。そして、それは、『人間の解釈』だけの問題なのか?とも思います。どう見ても・・・・・『弱い動物』が『強い動物』に『追いかけ回され、苦しんでいるようにしか見えない』のは、本当に『人間の解釈』だけの問題でしょうか?もしかして、『生物』の現れの最初から、『弱肉強食』の『感覚』に、『偏ってしまった』んじゃないか?て気がしているんです。 もし、『生物』の現れの最初から、『強肉弱食』の『感覚』であったなら・・・・・ 『弱い者』が『食べられる』のではなく、『強い者』が『食を与える』、『弱い者』が、それを頂いて、『強い者』に感謝する・・・・・という『愛だけ』になったんじゃないか? と思う訳なんです・・・・・一部の『植物』は、実はそうなのかもしれない、て気がしています。 『この体』の中でも、『この体』の『機能』や、『機能にふさわしい形状』を維持する為に、日々、一部の細胞は『自殺』しているらしいです。「アポトーシス」というらしいです。 アポトーシス、アポプトーシス[1] (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死(狭義にはその中の、カスパーゼに依存する型)のこと。 「アポトーシス」(2019年5月9日 12:03 (UTC)の版)『ウィキペディア日本語版』 を読むと、自分は、『この体』を構成する細胞たちに、感謝の気持ちしか起きません。せめて、『この体』に対しては、その気持ちを、持ち続けていたい、と思っています・・・・・